お気楽なポタポタ

楽しいと思えることはシアワセ。写真と共にお届けします。

デリーへの道22 番外編  

番外3
Nikon1 V1 10-30mm デリーinインド

インドと言えば・・・・・・?

そう、独立の父マハートマー・ガンディーを忘れちゃいけない

ドライバーに連れて来られ、見て来いと指差す方向に歩く。
公園のような広いそこを人が行く後をついて行くと・・・
何やら肩から銃下げて、やる気の無さぷんぷんの2人が
一応?守る真ん中の花が供えられているモノ・・・何???


ラージ・ガート
1948年1月30日ガンディーは夕方の祈りを捧げに向かう途中
極右青年にピストルで暗殺されてしまう。
翌日、ヒンドゥーの作法に従い火葬された場所 だそうです。


高校生らしき集団も見に来ており
1度は見に来る場所なのかもしれませんね


番外5

前を歩く女性のサリーが素敵で思わずパチッ
なかなかオサレで、裕福なのかな?とも思ったけど・・・

周りをただぐるっと歩くだけって感じで
インドの人達も真剣に見る訳でも無い感じでしたよ。

ガンディーは火葬された後、
遺灰はインド各地の河に流されたそうで
ここに遺骨などは納められていないみたいです。


番外4

そこで見かけたムクドリ?
インドハッカというムクドリ科の鳥さんのようです。

日本で見るムクドリより黄色がハッキリしていますな


おまけ!
番外1

インド車と言えば・・・タタ でございます。

安いので有名ですが、ご覧のように左のサイドミラー
最初から付いてはおらぬ

インドの車のマナーは最低で
誰もがそこ退け退けーっ!で停まるとぐいぐい突っ込んで
我先に行こうとするので、サイドミラーぶっ壊れている車が多い。
当然側面ボコボコの車も多く見かけた
赤信号で停まっても後ろからクラクションの嵐
で、とにかく幅寄せが凄い。

赤信号になると途端にストリートチルドレン(死語?)が
バンバン窓を叩いて何かを売りつけようとする。
窓開けていたら絶対に手が入って来る。
だから決して開けないようにしていた、分かっていたから


またインドで小学生の3姉妹がレイプされ殺された
という記事が今朝の新聞に載っていた。
まだ小学生よ!!
ったく、怒り爆発しそうよ



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サウスデリーへの道21 フマユーン廟2石棺編  

中3
OLYMPUS XZ-1 サウスデリーinインド

ムガル帝国第2代皇帝フマユーンは統治者としてはイマイチで
東インドを統治していた総督と2度の戦いに敗れペルシャに落ち伸び
後にペルシャの大軍の援助を得て復活!
が、翌年図書館の階段から落ちて亡くなってしまう。。

嘆き悲しむフマユーン帝の妃ハージ・ベグムがひたすらこの廟を
ヤムナ河の近くに建造させるのにその後を費やした、らしい。

↑中に入るとこんな感じになっていて
実は4つの部屋があり、そこにそれぞれに石棺があった。
奥に在る小さな大理石が石棺なのだ


中1
Nikon1 V1 VR10-30mm

中はこんな感じで実にシンプルになっています。
この石棺がフマユーンのものなのかは分かりません
何も表記など無く、ただ’ふ~ん’と眺めるのみ。

この石棺は仮のもので遺体は真下に安置されているそうです。
それはタージ・マハルでも同じでした。
つまり、タージの方もこういう仮の石棺だけが置かれており
厳重に囲いがされその周りをぐるっと見て終わり だったのよ

本当のお墓では無くこれと同じ感じなのに
タージ・マハルはものすごーく厳しく管理されているのだった。。。
それに、向こうの方はもっと狭い部屋で暗かったです


中7
XZ-1

他の部屋には石棺が並んでいたりしました。
意外に小さく、大理石ではあるけど装飾も少なめですね。
これらも誰のものなのか、分かりません。

フマユーン廟にはフマユーンをはじめ、王妃・王子や
重要な宮廷人達など150人もの遺体が安置されているそうです


中2
Nikon1 V1

中にはこういったアラビア文字が刻まれているのもありました。
重要な人物だったのだろう、と想像されます。

仮のものだとは言え
ただ置かれている感じが何とも拍子抜けというか・・・


中4

壁もこんなにシンプルな装飾象嵌・・・

トルコに行くと廟でも壁一面タイルで飾られ
それはそれは素晴らしいのですが
ここまでシンプルだと何だか別の意味で新鮮でした。。


中5

しかし、窓はアラベスク模様の格子で美しい

丁度、日が傾いて来ていたので光が良い具合です。
こういうセンスはイスラーム建築の特徴ですよ

ここも光は外からのもだけで電灯など一切無かったです。


中6

敷地内には他の廟やモスクもあるようでした。

タージ・マハルと違ってこちらでは家族がのんびり散策気分・・・


正直、こんなに沢山の世界遺産を見学出来るとは思いませんでした。
デリーは期待していなかったからか
意外にも見応えたっぷりだったので、大満足


ところで・・・・・・・
エジプト・ルクソールでの熱気球事故。
亡くなられた方達にお悔やみ申し上げます。

私、ケニアで熱気球に乗りました。
行く前に別の旅行会社ツアーでケガ人が出たこともあり
止めようかと思ったけど申し込みました。
現地では事故った時の同意書にサインさせられ緊張しましたっけ。

バーナーのゴーッという音だけで静かな飛行なのですよ。
無音の中、上空から下界の野生動物達の様子を見るのは最高でした。
でも、危険と隣り合わせであることは確かだったと思います。
残念です。。。。。



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サウスデリーへの道20 フマユーン廟1  

フマユーン1
Nikon1 V1 VR10-30mm サウスデリーinインド

デリーに戻って参りました。
今度はデリーの南方面、サウスデリーであります。

段々日が暮れてきて4時近くになってしまいました。
ドライバーは日が落ちたらどこもCloseだと何度も言う。
そんなこと聞いてないよっ!

こういうことは最初の交渉で聞くべきだったのか・・・?
初めての事だったので分かりませんが
ツーリストインフォメーションによって違ったのでしょうか??
大体ドライバーが遅刻したこと自体が最初から問題だったような。。

とにかく、最後の世界遺産にやって参りました。
今までとはちょっと薄い感じの赤砂岩のイーワーンの西門が迎えます。


フマユーン2

フマユーン廟
ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの死後、妻が建てさせたお墓。
1565建造し1569年完成。
ムガル帝国初期を代表するインド・イスラーム建築。

ちょっと似てません?
何って、あのタージ・マハルに・・・


フマユーン3

タージ・マハルはここから影響を受けたとされます。

タージは4本の柱(ミナレット)が建っておりましたけど
こちらには無いですね。

タージ・マハルは総白大理石造りでしたが
こちらは赤砂岩と大理石の組み合わせ。
言われなければ’赤いタージ?’って思ってしまう・・


フマユーン4

左右対象でどこから見ても同じ様に見えるのは
タージも同じでしたね。。
しかし、こちらには派手な装飾というものが見られなく
随分とあっさりというかスッキリした観があります。

まぁシンプルと言えばそうなんでしょうけど
タージ・マハル見てしまうと「あれ?」と思ってしまいます。

でも、こちらが原型ですからねぇ~。。。


フマユーン5

建物から門の方を見ると庭園になっていて
チャールス・バーグ(四分庭園)というペルシア起源の正方形の庭園。

タージ・マハルでは中の撮影は禁止でしたけど
ここは撮り放題だったので
じゃどういうお墓だったのかというのを
次回にご紹介したいと思います。

それにしても、こちらは随分とのんびりした所で
何だか公園に遊びに来ている感じがしましたねぇ~



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オールドデリーへの道19 ラール・キラー2後宮編  

大理石2
Nikon1 V1 VR10-30mm オールドデリーinインド

ラール・キラー(赤い城)の中に入ると
赤砂岩で出来たディーワーネー・アーム(貴賓謁見の間)があり
(載せようかと思ったけど何かの機会にしようかと・・・)
更にその奥に進むとドドーンと大理石の建物が広がります。

↑あまりにも広く横に長いのでどう撮っていいのやら
ディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)、ラング・マハル(彩りの間)、
カース・マハル(皇帝の私室)と大理石宮殿が並んでいます。

手前は恐らく当時は噴水だったんじゃないかしら???


大理石6

横長なので端っこから向こうを見るとこんな感じ。
私が立つこの窪みも恐らくは水が張られていたんだと思われます。

アグラ宮殿で見た大理石の建物によく似ています。
ま、同じ人が建てさせたのだからそうなんでしょうけど・・


大理石4

3つのどの建物だったか忘れたけど中の様子。

ムガル時代この宮殿で新年の宴はここで行われたそうです。
当時この壁の一面には貼り付けられたダイヤモンドで輝いていたとか・・

凄いねぇ~。
昔の皇帝達ってお金の使い方が半端じゃ無いよね
電気が無い時代、きっと光がダイヤに当たり
部屋が明るかったのかもしれませんね。
想像するだけで楽しい。。。


大理石3

こちらにも宝石で象嵌され飾られた柱。
アグラ城でも見ましたが花のデザインが違いますね。

花びらの部分が盗まれてしまうみたいで(宝石だからか?)
アグラ城では無くなっている部分も見かけました。


大理石5

向かって左側には’モーティー・マスジット(真珠のモスク)’。
公開されないようです。

7代皇帝アウラングゼーブ帝が礼拝ごとにマスジットに行く手間を省く為に
造った皇帝専用のモスク だそうで・・・
ま、目の前にあったら直ぐに礼拝出来るもんね。

あの玉ねぎみたいなドームのデザインは
何だかディズニーシーで多用に採用されていたような・・・


大理石7

中庭の十字に張り廻られた窪みには水が(多分)・・・

タージマハルの前にも水が張られた噴水がありましたものね。
当時はふんだんに水を引き噴水を楽しんだのでしょう


ここは本当に広くてたっぷり1時間半はかかりました。
アグラ城に行った時、ガイドの説明があったから
ここを歩いていて似ている造りだから解りましたけど
ガイドって必要だと思いました。

ツアーって自由が無い分、ガイドが付くというのが魅力だと
今回初めて気付きました。
説明が有ると無いとでは理解力が違ってくるし
せっかく行ったのに「これ何?」じゃ何しに行ったのやら


かなり省きましたけど見応えは十分でしたよ



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オールドデリーへの道18 ラール・キラー1外壁編  

城2
Nikon1 V1 VR10-30mm オールドデリーinインド

2013年1月3日、最初に行った別名ラール・キラー
レッド・フォート(LedFort):赤い城と呼ばれて
1639~48年ご存知’大理石大好き男’ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン
によって建てられた。
アグラからデリーに都を戻してこの城を造営したそうです。

タージ・マハルは1632年から建築が始まり53年完成だから
ここに居る間もアグラにあるタージ建設は続いたいたことになるんですね

この’赤い城’はタージ・マハルと同じヤムナ河に沿って建てられているそうです。
彼はどこか200km離れたアグラと繋がっていたかったのだろうか???

↑外壁はぐるっとお堀になっていて昔は水があったのかな?(想像だけど)
車チャーター観光なのでガイド無しなのよ
デリーは地下鉄が走っているのですが
駅から観光スポットまで遠いので車で回った方が便利。


城3

駐車場からチケット売り場まで10分近く歩く。
途中でこんな方達に出迎えて頂きました

リスはあちこちで見かけましたよ~。


城6
VR30-110mm

見張り台?
よーく見ると壁に穴が開いているように見える。
あそこから侵入者を銃で狙ったのかしら??

かなりガッチリした外壁で見応え充分にあります


城4

朝霧と言うのとはちょと違うような霧・・・
何しろ焦げ臭さ混じりですからねぇ~。
どこかの国と同じですよコレは!

それにしても頑強な・・・!


城5

近くで見る門も結構重厚感があって迫力ありました。

この赤はもうご存知赤砂岩でございます。
シャー・ジャハーンが造ったのだから赤砂岩ともっちろん大理石が・・・
大理石建築は中にあるので後日ご紹介しますね


城1

正面の門です。
とにかく広くてデッカいです

横900m 縦550m 周囲2.41kmだそうで・・・

最初にご紹介したアグラ城とよく似ているのですが
あちらは第3代皇帝アクバル大帝が造ったもので
それを模範にしてこちらを建てた城塞だそうです。

次回は中の様子をお伝えしま~す


しかしね・・・・・・
オリンピックって何のため誰の為にあるのでしょうか?
オリンピック委員って何様なのでしょうか?
最近のオリンピックは’お金’まみれで
どーも違った方向に行っているとしか思えないんでけっどっ!



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