
NikonD90 SIGMA70-300mm
今日はやたらと’父の日’と街は商戦合戦で忙しそうだ。
確執があった父が旅立って1ヶ月が過ぎて想ふこと・・・
まずは’何も後悔はしていない’ということ。
30代の時私が鬱で苦しんでいる中、一大決心して家族に
「父はアルコール依存症であり、それに伴う鬱でもある」
と、ハッキリ宣言し全員のブーイングと全否定の激しい抵抗を受けたけど
私は30年近くずっとその様子を見て来たし
私自身がそのことで苦しんで来たのだから確信があるし
もう限界だと思ったし、何より家族に警告を出したんだもの


亡くなる2~3時間前まで私一人が病室で見守ったこと。
心臓が動いている限り見た目は苦しそうに息をしていたけど
(本能としてただ動いているだけだと冷静に思っていた)
布団からはみ出した足の先が小刻みに動く様子を見ながら
「もうこの人はこの世を去ろうとしている・・・」
怒りと憎しみしか無かった想いが
違う世界に向かっている姿に変化して見え
何だか不思議とその想いが薄れて行くような気がしたのだ


(この花は何ですか???ブレちゃったけど)
↑ナワシロイチゴ(苗代苺)だそうです。有難うございました
怒っても憎んでも、もう相手はこの世に居ないとなると
その気持ちをぶつけることも出来ないし
居ない人に対して怒っても何もならない・・・
私は苦しんで来たけど、生きている間だって彼は私の苦しみを
知ろうともしなかったし、お酒を止めることもしなかった

結局は’お酒が元’で私は逝ったのだと確信しているし
母も最後は身内に「お酒が原因」と言っていた。

姉は未だに私の言う事を信じていない様子だけど
もうどうでもいい。
傷つき苦しんで来たけど、私は決してそれが無駄だったとは思っていないし
返って苦しむ学生の気持ちが分かってあげられて良かったと思う。
何故神は私だけに父の病的な部分だけを見せたのかは分からないけど
それを無駄にせず生きれば良いのだと思う。
苦しんで来たことを分かって欲しかったとも思う。
が、父に分かってもらったからって私は納得しなかったと思う。
心底彼を信じていなかったから・・・
軽蔑・・・という気持ちに変わりは無い。
彼は自分の問題に向き合わずに逝ってしまった。
そういう人だったということで納得している。

後処理が大変で毎週実家に行っては
母の手伝いをして昔ーーーしの話が出て来る。
今更何を聞いても変わりはしない

全ては終わったこと・・・
そう思う今日この頃なのでした


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